No.45 2000/04/15
目を見て話すのは苦手

 人と話をする時には相手の目を見て話しなさいとよく言われます。私は子供のころ、「話す時に相手の目を見ない人は心に隠し事がある人だ」と何かの本で読んだ記憶があります。しかし、私は小さい時からそれが苦手なたちです。自分の考えを頭の中で懸命に言葉に組み立てながら話す時には、相手の目を直視することに神経を集中できず、視線をはずしがちです。
 私には、話す時に相手の視線を直視できないのは一種の能力欠如なのだろうかという思いがありました。しかし、大学生のころに、SF作家の筒井康隆さんの随筆に「私は相手の目を直視して話すのが苦手だ」と書かれているのを読んで、自分だけではないのだと思ったものでした。

 私は最近、自分の心理について興味深いことに気付きました。台湾の陳淑芬(チェン・シューフェン)さん(女性)という人の画集のCD-ROMを買ったのがきっかけです。
 この絵は、写真と見まがうようなコンピュータグラフィックスの人物画です。その中に非常に気に入った美人画がいくつかあったのですが、私がスクリーンセーバーの背景画として選んだのは、カメラ目線の絵ではなく、斜め目線の絵でした。
 カメラ目線の絵は、美しいとは思っても、私は「さあ、鑑賞するぞ」という気構えをもって見ているように感じました。一方、斜め目線の絵は、なにげなく視界に入った時に心が安らぐという感じがしたのです。
 どうも私にとって、たとえ絵であっても視線は緊張感を与えるもののようです。
 余談ですが、スクリーンセーバーの本来の役割は、同じ画像が映り続けることでCRT(ブラウン管)の画面が焼けるのを防ぐことです。背景画を貼り付けては、スクリーンセーバー本来の機能が無意味になります。CRTをお使いの方にはお奨めできません。液晶ディスプレイなら大丈夫ですが。

 私は、メンタルヘルスに関心を持つようになり、研修を受け始めました。研修では、二人一組になって交代で一人が話し、もう一人が聞くという訓練がありました。そこで気付いたことは、話す時に視線をはずす人はけっこういるということでした。むしろ、私はほかの人から「ちゃんと目を見て話す人だ」と言われました(ちゅうねんになった今では、私は意識的にそれができるようになったようです)。
 研修で知った話では、「なぜ目を見て話さないのか」と上司に叱られた経験を持つ人がいるとのこと。また、驚いたことに、カウンセラーがクライアント(カウンセリングを受ける人のこと)にそのように言ったケースもあるそうです。

 おそらく、多くの人は、ちゃんと互いに目を見て話さないと心が通じ合わないと感じるのでしょう。しかし、そうでない人もいるのです。私のように、相手の視線を直視することで自分の思考が妨害されるように感じる人もいるのです。視線に威圧感を感じる人もいることでしょう。
 だから、私が世の中の人々にお願いしたいことは、「相手の目を見ない人は心に隠し事がある人だ」などと決め付けないでほしいということです。相手の目を見ない人は心が弱い人だと思うのはけっこう。そうなのかもしれません。でも、それは、小さい時に心に傷を受けたからかもしれないではありませんか。
 あなたが相手の目を直視できる強い心の持ち主なら、どうか弱い人への思いやりを持ってください。特に、部下の心の健康に気を配るべき立場の人は、「ちゃんと目を見て話せ」と相手を責めないでください。相手が自分の目を直視できる人であろうとなかろうと、相手を許容する心を持ってください。
 第25回第43回でも書いているように、メンタルヘルスの重要性が認識される時代になりつつあります。心の不健康者を出さないために大切なことは、自分とは違う他人を許容する思いやりだと思うのです。

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