私は
第25回で、「仕事のストレスによる自殺者が出たらその上司が責任を問われるようになるだろう」と述べました。世の中は確実にその方向に進みつつあります。
過労によるうつ病で1991年に自殺した電通の社員(以後、Aさんと呼びます)の両親が起こしていた賠償請求訴訟の最高裁判決が2000年3月24日に言い渡されました。「長時間労働による健康悪化を知りながら負担を軽減しなかったのは会社側の過失である」と認めたのは、最高裁としては初の判断でした。
東京高裁の二審判決では、「Aさんの性格も自殺の原因の一端であるし、同居していた両親が自殺を止めることができなかった過失もある」として東京地裁の一審判決よりも賠償額を減額していました。しかし、最高裁は「Aさんの性格は、個性の多様さとして想定される範囲をはずれていなかった」、また「両親はAさんの勤務状況を改善できる立場にはなかった」として、全面的に会社側の過失であったと断じました。私は、歓迎すべき判決だと思います。
Aさんは、1990年に電通に入社し、翌年には3日に一度は帰宅が午前2時を回るようになりました。自殺の少し前には月に8日も徹夜する状況で、「自分で何を話しているのかわからない」という異常な言動があったそうです。
「会社に殺された」と思った両親は、社長に直訴状を送ったがなしのつぶて。訴訟に踏み切りました。会社の責任を立証するのは容易ではなかったそうです。Aさんが自己申告していた残業は一日平均3時間。父親と弁護士は、深夜に電通本社の明かりをチェックするなどの執念の行動を続けました。Aさんの労働実態は、会社から提出させた深夜退館記録が決め手になって立証されました。
今までなら、会社側は「連日の深夜労働を命令してはいなかった。労働時間は本人の裁量に任されていた」(つまりは、「本人が好き勝手に長時間働いていたのだ」ということ)と主張したでしょう。手元の新聞記事からは明確に読み取れませんでしたが、電通もそのように主張していたに違いないと思います。今回の最高裁判決は、「そんな言い訳は通用しない」と会社組織に思い知らせたという点で画期的でした。
これからの世の中は、特にホワイトカラーの場合、決められた時間だけ会社にいれば給料をもらえるというのは通用しなくなり、どれだけの成果を出したかで報酬が決まるという成果主義が重視されるようになるでしょう。努力した人が報われるという意味では、当然そうなっていくべきだと私も思っています。
しかし、成果主義は、残業手当が出ないただ働きの増加をもたらす危険も伴っています。だからこそ、労働者には、自分の健康を自分で守るという意識がますます重要になってきます。また、管理者には、部下の健康に気を配る責任がますます重くなってきます。
自殺者が出たら、近くにいて監督する立場にいながら事前に適切な処置をしなかった上司が責任を問われるのが当然です。そのような上司は、管理能力が欠如していたとして、減給や降格の処分を受けても当然です。そのような考え方がこれから広まっていくに違いありません。
世の管理職の皆さん、心してメンタルヘルスの基礎知識を勉強してください(そのためにも私は
第25回の記事を書いたのです)。特に幹部クラスの人は、メンタルヘルスの専門家を招いて管理職に講習を受けさせるくらいしてください。社員の健康を守ることが、企業活動の生産性を上げるためにも重要なのですから。
亡くなったAさんのご冥福を祈るとともに、執念で全面勝訴を勝ち取ったご両親に敬意を表します。