No.129 2002/05/26
辞めた新入社員

 2002年5月26日付の読売新聞の家庭欄に、20代なかばの女性からのこんな投稿記事がありました。ここに引用します。
 昨日の朝、彼女は会社に来なかった。経営者に尋ねると、「辞めた」という思いがけない答えが返ってきて、がく然とした。
 彼女は入社したばかりの新入社員。従業員四人の物静かな職場に仲間入りした彼女は、笑顔が似合うにぎやかな女性で、仕事中の雰囲気も変わり始めていた。
 だけど、入社から一週間が過ぎたころ、「仕事がきついから、長続きするか分からない」と、私に漏らしたことがあった。「辞められたら、みんなが困るよ」と話したが、気持ちは伝わらなかったのだろうか。
 彼女の存在は、これから少しずつ職場に欠かせないものになるはずだった。そのことを、本人は気づいていなかったのかもしれない。こちらも、もっと会社のよさを分かってもらえるように、努力すればよかった。
 期待と緊張の入り混じった「出会いの季節」はすぐに終わりを告げた。
 ああ、気づいていないのはあなたですよ。
 あなたは、職場の雰囲気を変えるという、あなた方先輩社員たちが今まで十分にできていなかったことを彼女にもっとやってほしい、職場に欠かせない存在になってほしいと期待しましたね。彼女が「仕事がきついから、長続きするかどうかわからない」と言った時、あなたは、「あなたが辞めたらみんなが困るから、辞めないでほしい」と、会社の仲間の都合を訴えただけなのですか?心を病んでいる人に要求を突き付けることは、静養が必要な病人に荷物を背負わせるようなものなのですよ。
 あなたは、彼女は会社の良さをわからなかったのだからもっと教えればよかったと思っていますね。もちろん、先輩社員として新入社員に教えてあげたいことは山ほどあるでしょう。しかし、彼女にとって何がつらいのかを彼女から教えてもらおうとはしなかったのですか?
 これは私の推測にすぎませんが、彼女は、物静かな人ばかりの職場で自分だけが快活に振る舞うことに疲れたのかもしれませんよ。「あなたは職場を明るくしてくれる貴重な人だ」というみんなの期待が重荷になったのかもしれませんよ。信じにくいことかもしれませんが、いつも笑顔を絶やさないにぎやかな人が、必ずしもストレスをものともしない強い精神力の持ち主だとは限らないのです。
 あなたがやるべきだったことは、彼女に“教える”ことよりも、彼女が言いたいことを“聞いてあげる”ことだったのです。

 聞いてあげることは、教えることよりもむずかしいものです。弱音を吐きたくないと思っている人は、挫折してしまうまで(最悪の場合には、うつ病にかかって自殺するまで)周りの人に悩みを打ち明けようとしないことがあります。こちらから気軽に話しかけ、相手の話を引き出すことが重要です。
 新入社員の悩みを聞いて「何を甘ったれたことを」と言いたいこともあるでしょうが、そこはぐっとこらえなければなりません。甘ったれているように見えても、実は本人も心の奥底では「甘ったれてはいけない」とわかっていて葛藤していることもあります。それは、辛抱強く話を聞いてあげないとわからないものです。
 彼女は、せっかくあなたにSOS信号を出したのです。あなたがもっと話を聞き出してあげていれば、彼女は話すだけで心が軽くなり、悩みを乗り越えることができたかもしれません。そして、あなたに話すだけで頭の中を整理できて、自分は何をしなければならないのかを、あなたに教えられるまでもなく自分でわかったかもしれません。

 まだ20代という若さのあなたに、新入社員の悩みを受け止めてあげることはむずかしいでしょう。できなくてもしかたのないことでした。中年の私でさえ、悩んで心の健康を損ねる人のためにどうすべきかを知っていても、的確に行動するのはむずかしいものです。
 しかし、今後同じようなことがあった時には、「会社の良さや、働くことの心構えを、今度はもっと十分に教えてあげよう」とは決して思わないでほしい。上の立場から情報を押し付けることは、逆効果になるおそれが大きいから。そこをわかってほしいのです。

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