一昔前のフレンチポップスに「オー・シャンゼリゼ」という歌があります。元はロンドンのウォータールー通りを歌ったイギリス製の曲です。1969年に、パリのシャンゼリゼ大通りを歌ったフランス語の歌詞が付けられ、日本でもヒットしました。
♪街を歩く 心軽く 誰かに逢えるこの道で
という日本語の歌詞も付けられているので、ご存じの方は多いと思います。
この歌の盛り上がりの部分は
♪オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
と歌います。どなたも「オー」は感嘆詞だと思うでしょう。シャンゼリゼ大通りをたたえる内容の歌詞ですから、この部分は「おお、(すてきな)シャンゼリゼよ」という意味だと思えるのは無理もありません。そうではないということは、歌詞シートを読まないとわかりません(フランス語を熟知している人を除いては)。
フランス語では、
Champs-Elysées(シャンゼリゼ)という固有名詞には必ず複数定冠詞
les[レ]が付いて、
les Champs-Elyséesといいます(これがこの歌の原題です)。これの前に、場所を示す前置詞
à[ア](…で、…に)が付くと、
àと
lesが合体して
aux[オ]というまったく形の違う語に変身します。感嘆詞に聞こえるのは、この
auxなのです。
盛り上がり部分の歌詞 (P. Delanoe 作詞) |
意味 |
日本語詞 (安井かずみ・作詞) |
Aux Champs-Elysées,
aux Champs-Elysées
Au soleil, sous la pluie
A midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
Aux Champs-Elysées
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シャンゼリゼ大通りには
シャンゼリゼ大通りには
晴れの時も雨の時も
昼でも夜中でも
あなたがほしいものは何でもあるよ
シャンゼリゼ大通りには
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オー・シャンゼリゼ
オー・シャンゼリゼ
いつも何か
すてきなことが
あなたを待つよ
オー・シャンゼリゼ
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なぜこんなややこしい規則があるのかって?そんなこと知りません!言語規則から不合理性を人為的に排除したエスペラント語のような人工言語でない限り、ややこしい言語規則はどの言語にもあるものです。
さて、フランス語にはほかにもややこしい言語規則があります。それゆえに成り立ち方が広く誤解されていると思われる語に、「パリジェンヌ」(パリ娘)という外来語があります。
たいていの人は(フランス語を少しでも学んだ人以外は)、「パリジェンヌ」とは「パリ」に「ジェンヌ」という語(接尾辞)がくっついてできた語だと思うでしょう。これをもじった語としては、「タカラジェンヌ」(宝塚歌劇団のスター)というのが有名です。ウェブを検索してみたら、ほかに「大阪ジェンヌ」「原宿ジェンヌ」という言葉も見つかりました。
しかし、実は、「パリ」にくっついた接尾辞は「ジェンヌ」ではないのです。
「パリ」は
Parisと綴ります。最後の
sは発音しません。これに接尾辞
-ienをくっつけて形容詞化した語が
parisienです(先頭は小文字になります)。ここで、無音だった
sの発音が有声音として現れ、その発音は[パリズィアン]となります。その女性形が
parisienne[パリズィエンヌ]です。
parisien(ne)は、「パリの」という意味で、名詞として使われる時は「パリの人」という意味になります。
つまり、「パリ」にくっついた接尾辞(女性形)は「イエンヌ」であって、たまたま「パリ」の綴りが無音の
sで終わっているという特殊事情により、[パリ
ズィエンヌ](平易な表記では「パリジェンヌ」)という発音になるのです。したがって、「大阪」とか「原宿」といった地名に「ジェンヌ」をくっつけて「その地の女の子」という意味の語を作るのは、元になったフランス語の言語規則に照らせばおかしなことなのです。
しかし…
「タカラジェンヌ」はどうでしょうか。確かに、「宝塚」の「宝」に「ジェンヌ」をくっつけたと考えると、おかしいと言えます。ところが、
Takarazukaの
Takaraz-までを取ってそれに
-ienneをくっつけたと考えると、フランス語の言語規則に合います。
takarazienneと綴って、フランス語の発音で[タカラズィエンヌ]と発音することができます。これなら、宝塚歌劇団がフランス公演に行っても、理屈っぽいと言われるフランス人(俗説かもしれませんが)に、
parisienneのもじりで作った
takarazienneという言葉の成り立ちをすんなり納得してもらうことができるでしょう。そして、英語はフランス語の影響を大きく受けている言語ですから、この
takarazienneというフランス語風の造語は、英語国民にも抵抗なく受け入れられるでしょう。つまり、「タカラジェンヌ」は日本発の国際語になりうるのです。
はたして、「タカラジェンヌ」という言葉を作った人は、「タカラ」の次のローマ字が
zだから「タカラジェンヌ」はフランス語の言語規則に合うということまで考えていたでしょうか。もしそこまで考えていたとしたら、これはなかなかのセンスです。