No.93 2001/05/19
「yes/no」と「はい/いいえ」

"Aren't you fine?"
"Yes, I'm fine."
"No, I'm not fine."
この英文の訳は以下のようになります。
「あなたは元気ではないのですか?」
いいえ、元気ですよ。」
はい、元気ではありません。」
このように、否定疑問文に対する答えでは、英語の「yes/no」は日本語の「はい/いいえ」とは逆になります。たいていの日本人は、英語を学び始めた時、このことに戸惑います。わかっていても、とっさの英会話では「yes/no」を間違えることがあります。私も、英会話の際にはこれを間違えまいとかなり神経を遣います。

 英語では、質問が肯定疑問文か否定疑問文かにかかわらず、答えが肯定文ならば「Yes」、否定文ならば「No」と言います。「元気であるか」と問われようが「元気ではないのか」と問われようが、「元気である」と肯定文で答えるときは「Yes」、「元気ではない」と否定文で答えるときは「No」と言うのです。
 一方、日本語では、問われた内容がそのとおりであるならば「はい」、そうでないならば「いいえ」と言います。「元気ではないのか」と問われたとき、「そのとおり、元気ではない」と答えるときは「はい」、「そうではなく、元気である」と答えるときは「いいえ」と言います。

 コンピュータプログラムを設計する際、「変数Xの値は0に等しくないか」のような否定疑問文の形の判定が行われることがよくあります。英語では、「そのとおり、等しくない」という場合を「yes」とは言えません。「そうである」という意味を厳密に表すには、論理数学用語の「true(真)」を使います。「そうではなく、等しい」は、「no」ではなく「false(偽)」です。
 一方、日本語では、「そのとおり、等しくない」は「はい」、「そうではなく、等しい」は「いいえ」という平易な言葉で表すことができます。「はい/いいえ」がそのまま「true/false」の意味になるのですから、「真である/偽である」という堅苦しい言葉を使わなくてもプログラム論理を考えることができます。日本語の「はい/いいえ」は、プログラム論理を考えるのに都合のよい言葉だと言えます。

 ところが、日本人がプログラム論理を設計する時に「はい/いいえ」を「yes/no」の意味で「Y/N」と略記することがあります(私自身も、かつてそうしたことがありました)。これは英語の使い方としては正しくありません。略記するなら「true/false」の意味で「T/F」と書くべきです。
 このような間違いは、アンケート用紙や自己診断用の質問紙にも見受けられることがあります。
私は最近、元気でない。 ( はい ・ いいえ )
このように回答の選択肢を日本語で書けば問題ないのですが、
私は最近、元気でない。 ( Yes ・ No )
このような書き方だと、英語に堪能でない人は元気ならば「No」に丸を付け、小さいころに英語で育ったような人は元気ならば「Yes」に丸を付けるでしょう。日本語文の中で安易に「yes/no」という英単語を使うべきではありません。
 また、もしこのアンケート文を英訳するならば、回答の選択肢を「true/false」にするか、あるいは質問文を「私は最近、元気でないと感じる」のように肯定形に書き換えて訳すべきです。

 さて、否定疑問文に対する日本語の「はい/いいえ」が英語の「yes/no」とは逆になることで、英語を学ぶ日本人が戸惑うのと同じく、日本語を学ぶ英米人も戸惑うはずです。しかし、上で述べたことを英米人に教えてあげればすんなり納得してくれるでしょう。
「はい」は必ずしも「yes」の意味ではなく、「You are right.」(あなたの言うことは正しい)あるいは「That's true.」(そのとおりである)の意味です。「いいえ」はその反対です。
 ところが、もし英米人が次のような質問で追い討ちをかけてきたら?
では、「食事に行きませんか?」に対して「はい、行きます」と答えるのはなぜですか?「行きません」を否定して「いいえ、行きます」と言うべきではないのですか?
たいていの日本人は、ここでぐっとつまってしまうでしょう。「いやあ、日本語はあいまいで非論理的な言語ですから」としどろもどろの説明をするかもしれません。しかし、私だったら次のように説明します。
「食事に行きませんか?」という言い方は、「食事に行きましょう」という誘いを婉曲に言うために否定疑問文の形をとっているものです。だから、問われた人はその意図を理解して、「I agree.」(賛成します)という意味で「はい」と答えるのです。「『あなたは食事に行かない』というのは真であるか偽であるか」と尋ねるには、「食事に行かないのですか?」という言い方をします。それに対しては、行くならば、「『行かない』というのは偽である」という論理に基づいて「いいえ、行きます」と答えます。

 日本語はあいまいな言語だの、非論理的な言語だのという議論があります。確かに、欧米語に比べてあいまいさの許容度が高い言語ではあろうと思います。たとえば、
製品にご不満はありませんか? ( はい ・ いいえ )
というアンケート文はあいまいです。不満がある人は質問文から「ご不満があればお聞きします」という意図を読み取り、不満がない人は「ご満足いただけていますか?」という意図を読み取って、どちらの人も「はい」に丸を付けることが考えられます。日本人は、このあいまいさに気付かずについこのような文を書いてしまうことがあります。
 しかし、あいまいでないアンケート文にすることは簡単です。「製品にご不満はありますか?」と書けばよいのです。日本語はあいまいな言語だというのは嘘です。日本語でも欧米語でも、あいまいな書き方もあいまいでない書き方もできます。
 日本語は非論理的な言語だというのは、もっと嘘です。「食事に行きませんか?」に対して「はい、行きます」と答える理由も論理的に説明できるというのは、上で述べたことでおわかりでしょう。欧米人が日本語を非論理的な言語だと評するのを鵜呑みにしている日本人は、自分たちの母国語の規則を外国人に説明できるほどにきちんと理解していないにすぎません。

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