No.66 2000/09/23
方言と標準語

(注)文中の下線は、高く発音するピッチアクセントを示します。

福井県北部方言 共通語訳
 ちょっと前にこねなCMがあったわの。
父「ほれ、もういっぺん言うてみね。」
娘「かれし。」
父「違う。『かれし』でねえ。『れし』や。なんべん言うたらわかるんや!」
 結局、東総信って何の会社かようわからなんだけどの。あ、ほんなことはどうでもええんや。

 今ごろの若いもんが「かれし」(彼氏)んてな発音をするのをアクセントの平板化っちゅんやっての。ほれを言葉の乱れや、嘆かわしいこっちゃっちゅうて、若いもんを馬鹿にする人がいるわの。
 ほやけど、たいがいの福井県人は、ほういう話を聞いてもぴんと来んって思うざ。ほやかって、福井弁では「かれし」っちゅうんやもん。ほれだけでねえんや。どねな言葉も全部“だら上がり”のアクセントなんや。同音異義語をアクセントで区別せんのや。つまり、福井弁は、アクセントの平板化が究極まで進んだ日本語やっちゅうこっちゃ。

 同音異義語をアクセントで区別できんのは不便な方言やってか?何言うてるんやの。同音異義語なんか、状況やら前後関係で判別できるがの。福井県人は、ほれでなあも困ってえんわの。ほんなら、標準語使うてるつもりのあんた、「外注」と「害虫」を言い分けてみねの。ほれみね。いっしょやろが。どうせ日本語では、同音異義語をアクセントで区別しよっちゅても限界があるんや。標準語も福井弁も五十歩百歩やわの。
 アクセントの区別なんか覚えんでええんやでの。福井弁は覚えやすい言語やって思うざ。

 「かれし」っちゅう発音を嘆かわしいっちゅう人にききてえわの。あんたら、福井訛りでほう発音する人のことも馬鹿にするんけ?方言は地域の文化なんやざ。地域の文化を冒涜するんけ?
 ほでねえっちゅんなら、東京型アクセントの地域に住んでるんやに違うアクセントで発音するのが嘆かわしいっちゅんけ?福井生まれで東京に住んでる人かっているんやってわかっててほう言うてるんけ?
 「見れる」とか「食べれる」っちゅう“ラ抜き言葉”が日本語の乱れやっちゅんかっていっしょなこっちゃわ。広島弁では昔からほう言うんやざ。「がぎぐげご」の鼻濁音ができんのはみっともねえっちゅう人もいるけど、鼻濁音がねえ地域かってあるんやざ。
 アクセントが違うたって、ラ抜き言葉使うたって、鼻濁音ができんかって、コミュニケーションにどんだけ困るっちゅんやの?あんたら、自分の感覚に合わんさけんて文句言うてるだけでねえんけ?自分らとは違う文化を知って受け入れようっちゅう心がねえさけんてほんなこと言うんでねえんけ?言葉の乱れやっちゅう前に、ほんとに言葉の乱れなんか、どっかの地域の文化に根ざした言い方なんか、ちゃんと見きわめてほしいわの。
 あんたら、昔の日本語では「じ」と「ぢ」、「お」と「を」の発音に区別があったっちゅうの知ってるけの?ほの区別を残してる方言かってあるんやぞの。ほれに比べて東京弁は、由緒正しい日本語を崩したみっともねえ言葉やって言われたら、どねに思うけの?時代錯誤の議論やって言いてえやろの。「かれし」っちゅう発音がみっともねえっちゅうのもいっしょなこってねえんけの?

 標準日本語っちゅう決めはなけなあかん。ほりゃほやわの。標準語は東京の言葉を基に決められてる。ほりゃほれでええわの。今の標準語では「れし」って発音することんなってる。フォーマルな日本語を使うべき場で「かれし」って発音するのはみっともねえ。ほりゃわかるわの。
 ほやったら、標準語教育をもっとちゃんとやるべきでねえんけの?標準アクセントの発音練習をなんで学校でちゃんとやらんのやの?教えんといて、アクセントがみっともねえって若者を馬鹿にするのは、なんかおかしいんでねえけの?
 アナウンサーの訓練んてなのを学校でもやればええんやがの。ほしたら、誰かって、ぎょうさんの人に話を通じさせなあかん時には標準アクセントでちゃんとしゃべられるようんなるわの。ほれは、東京の子供には必要ねえっちゅうもんでねえざ。日常の言葉とフォーマルな言葉を使い分ける訓練やでの。どこの地域の人にかって必要やと思うざ。ほういう訓練をちゃんとやれば、フォーマルな標準日本語がちゃんとできるようんなって、言葉に変な劣等感持たんですむで、郷土の言葉も大事にする心も育つんでねえけの。

 東京にかって標準語とは違う方言があってもええやろがの。若者特有の世代方言があってもええやろがの。ほれかって文化やでの。日常の言葉は方言でええでねえけの。フォーマルな場ではちゃんと標準語を使うっちゅうけじめがあればほれでええでねえけの。
 言葉の変化の問題が、方言っちゅう文化の問題なんか、標準語っちゅう人為的な決めの問題なんかをごっちゃにしたらあかんわの。ほういうことをみんながわかれば、自分の感覚だけで他人の言葉を馬鹿にしたりせんようんなるんでねえけの。みんながほんとに日本語を丸ごと尊重できるようんなるんでねえけの。

 あ、ほやほや。お国訛りが抜けんっちゅうて悩んでる人に言うとくわの。働くためなんかで東京あたりに出て来たって、方言特有の語彙を使わんように気いつけてればええんや。アクセントが違うたって話は通じるわの。知性が高い人は、よそのお国訛りを馬鹿にしたりはせんもんやわの。なあも気にせんでええんやざ。無着成恭先生を見てみねの。

 ああ、興奮して福井弁丸出しでしゃべってもた。たまでわからなんだやろの。かんにんの。
 少し前にこんなCMがあったよね。
父「さあ、もう一度言ってごらん。」
娘「かれし。」
父「違う。『かれし』じゃない。『れし』だ。何度言ったらわかるんだ!」
 結局、東総信って何の会社かよくわからなかったけどね。あ、そんなことはどうでもいいんだ。

 今時の若い者が「かれし」(彼氏)みたいな発音をするのをアクセントの平板化というんだってね。それを言葉の乱れだ、嘆かわしいことだと言って、若い者を馬鹿にする人がいるよね。
 だけど、たいていの福井県人は、そういう話を聞いてもぴんと来ないと思うよ。だって、福井弁では「かれし」と言うんだもん。それだけじゃないんだ。どんな言葉も全部“だら上がり”のアクセントなんだ。同音異義語をアクセントで区別しないんだ。つまり、福井弁は、アクセントの平板化が究極まで進んだ日本語だということだ。

 同音異義語をアクセントで区別できないのは不便な方言だって?何言ってるんだ。同音異義語なんか、状況や前後関係で判別できるよ。福井県人は、それでちっとも困っていないよ。それじゃ、標準語を使っているつもりのあなた、「外注」と「害虫」を言い分けてみろよ。そらみろ。同じだろう。どうせ日本語では、同音異義語をアクセントで区別しようとしても限界があるんだ。標準語も福井弁も五十歩百歩さ。
 アクセントの区別なんか覚えなくていいんだからね。福井弁は覚えやすい言語だと思うよ。

 「かれし」という発音を嘆かわしいと言う人にききたいよ。あなた方、福井訛りでそう発音する人のことも馬鹿にするのか?方言は地域の文化なんだよ。地域の文化を冒涜するのか?
 そうでないと言うなら、東京型アクセントの地域に住んでいるのに違うアクセントで発音するのが嘆かわしいと言うのか?福井生まれで東京に住んでいる人だっているのだとわかっていてそう言っているのか?
 「見れる」とか「食べれる」という“ラ抜き言葉”が日本語の乱れだというのだって同じことだよ。広島弁では昔からそう言うんだよ。「がぎぐげご」の鼻濁音ができないのはみっともないと言う人もいるけど、鼻濁音がない地域だってあるんだよ。
 アクセントが違ったって、ラ抜き言葉を使ったって、鼻濁音ができなくたって、コミュニケーションにどれだけ困るというんだ?あなた方、自分の感覚に合わないから文句を言っているだけじゃないのか?自分たちとは違う文化を知って受け入れようという心がないからそんなことを言うんじゃないのか?言葉の乱れだと言う前に、本当に言葉の乱れなのか、どこかの地域の文化に根ざした言い方なのか、ちゃんと見きわめてほしいよ。
 あなた方、昔の日本語では「じ」と「ぢ」、「お」と「を」の発音に区別があったということを知っているか?その区別を残している方言だってあるんだよ。それに比べて東京弁は、由緒正しい日本語を崩したみっともない言葉だと言われたら、どう思う?時代錯誤の議論だと言いたいだろう。「かれし」という発音がみっともないと言うのも同じことじゃないのか?

 標準日本語という決めはなければならない。そりゃそうだよ。標準語は東京の言葉を基に決められている。それはそれでいいよ。今の標準語では「れし」と発音することになっている。フォーマルな日本語を使うべき場で「かれし」と発音するのはみっともない。それはわかるよ。
 それだったら、標準語教育をもっとちゃんとやるべきじゃないのか?標準アクセントの発音練習をなぜ学校でちゃんとやらないんだ?教えないでおいて、アクセントがみっともないと若者を馬鹿にするのは、何かおかしいんじゃないのか?
 アナウンサーの訓練みたいなのを学校でもやればいいんだよ。そしたら、誰だって、たくさんの人に話を通じさせなければならない時には標準アクセントでちゃんとしゃべれるようになるよ。それは、東京の子供には必要ないというものではないよ。日常の言葉とフォーマルな言葉を使い分ける訓練だからね。どこの地域の人にも必要だと思うよ。そういう訓練をちゃんとやれば、フォーマルな標準日本語がちゃんとできるようになって、言葉に変な劣等感を持たなくてすむから、郷土の言葉も大事にする心も育つんじゃないかな。

 東京にだって標準語とは違う方言があってもいいだろう。若者特有の世代方言があってもいいだろう。それだって文化だからね。日常の言葉は方言でいいじゃないか。フォーマルな場ではちゃんと標準語を使うというけじめがあればそれでいいじゃないか。
 言葉の変化の問題が、方言という文化の問題なのか、標準語という人為的な決めの問題なのかをごっちゃにしてはいけないよ。そういうことをみんながわかれば、自分の感覚だけで他人の言葉を馬鹿にしたりしなくなるんじゃないかな。みんなが本当に日本語を丸ごと尊重できるようになるんじゃないかな。

 あ、そうそう。お国訛りが抜けないと言って悩んでいる人に言っておくよ。働くためなどで東京あたりに出て来たって、方言特有の語彙を使わないように気をつけていればいいんだ。アクセントが違ったって話は通じるよ。知性が高い人は、よそのお国訛りを馬鹿にしたりはしないものだよ。何も気にしなくていいんだよ。無着成恭先生を見てごらんよ。

 ああ、興奮して福井弁丸出しでしゃべってしまった。まるっきりわからなかっただろうね。ごめんね。


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