No.64 2000/09/12
お清めの塩

 これって、日本中どこでもそうなんでしょうか。葬儀に参列した時にもらう会葬御礼に「お清めの塩」が付いています。帰った時、家に入る前に塩をぱらぱらと体にふりかけるべしということになっているようです。
 するってえと、なにかい?「お清め」というからには、亡くなった人に哀悼の意を捧げるために足を運ぶという善行をしてきた人はけがれているとでもいうのかい?亡くなった人がけがれを発していて、それに近づいた人が家までけがれを持ち帰ってきたとでもいうのかい?それとも、亡くなった人の魂が、自分のためにわざわざ哀悼の意を捧げに来てくれた人に取り憑いて、その人の家に災いをもたらすとでもいうのかい?
 それに、おかしいんでないかい?恩ある人が亡くなった時、恩を忘れていない人は葬儀に駆けつけ、一方、恩知らずの人は訃報にそっぽを向いていたとしよう。葬儀に駆けつけた人はけがれたから塩を浴びなければならなくて、葬儀に行かなかった恩知らずはけがれずにすんだことになるのかい?

 死者に近づいた人が家に入る前に塩を浴びるという風習は、おそらく、人類が科学的な知識を持たなかった古代の迷信に由来するものでしょう。昔は、伝染病で死んだ人を弔った人に病原菌が伝染したことがあって、それを「死者のけがれがうつった」と思ったのかもしれません。そして、塩の防腐作用は古代から知られていましたから、塩にはけがれを清める力があると信じられていました。そう考えれば、お清めの塩の風習の由来は理解できます。
 しかし!今では伝染病というものは解明されています。伝染病で亡くなった人に近付いただけで感染のおそれがあるのなら、今なら当然、隔離の処置がとられます。それに、感染力の強い病原菌が塩くらいで死滅するはずがないことはわかりきっています。風習の由来は理解できるにしても、お清めの塩には何ら合理性はなかったはずなのです。
 単に合理性がないだけなら、私はこの風習を「気に食わん」とは思わないでしょう。いやな客が帰った後に店の玄関に塩をまくのも合理性がない風習ですが、私は、それを悪い風習だとはまったく思いません。私が気に食わないのは、葬儀に参列するという善行をした人を「けがれて帰って来た」として扱うことなのです。

 私のこの考えを他人に押し付けるつもりはありません。自分に塩をかけたい人はかければよいと思うし、気にする人が気分を害するなら、私も自分に塩をかけましょう。
 しかし、私は、葬儀から帰って来た人に「ちょっと待て」と言って塩をふりかけることは、いかに古くからの風習とはいえ、したくありません。善行をして帰って来た人を“けがれ扱い”することは、その人にも故人にも無礼だと思うからです。

 この記事は反感を買いそうだな。:-P



(2000/09/14追記)
 こんなご意見をいただきました。「亡くなった人との別れを惜しんだ後、尽きぬ思いを断ち切って日常に戻るためのけじめの儀式がお清めの塩なのだと思う。」
 なるほど。その考え方は納得できます。単に死を「けがれ」と扱うのでなく、そういうしっかりした考えを持って風習を受け入れている人を私は尊敬します。

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