No.50 2000/05/20
近視は悪い目ではない
先日、テレビ朝日系の「たけしの万物創世記」で興味深い実験を見せていました。アフリカから来た視力2.5の人に、机の上で細かい作業をしてもらいながら脳波を測定してみると、近視と同じ状態にする眼鏡(凸レンズ)をかけた方が集中力が高かったのです。つまり、近視とは、近くを見続けるのに適応した目だということです。
視力が高いか低いかは、遠くを見るのに都合が良いか悪いかということ。近くを見る都合という観点では、良し悪しは逆転するのです。視力が1.0未満になったから眼鏡で1.0以上に矯正しなければならないというものではなく、各人に最も都合の良い視力を選択すればよいという考え方が出てきているのだそうです。
私は、小学校高学年ころから近視になり始め、眼鏡をかけています。子供のころには、眼科医に「眼鏡をかけたりはずしたりするのは目に良くない。いつもかけていなさい」と言われました。今にして思えば、それは間違いだったと思います。遠くが見えるように矯正するための眼鏡をかけて近くを見続けていれば、さらに近視の度が進むのは当然です。遠くを見るのに困る時だけ眼鏡をかけるようにしていれば、おそらく、裸眼で本を読める程度よりも近視の度が進むことはないでしょう。
大学に入ってからは、近視の度が進むのがほとんど止まりました。あまり勉強しなくなったからかもしれません。(^^); しかし、再び視力が落ちたことがありました。就職が決まって会社で入社前の健康診断を受けた時、矯正視力が0.6くらいになっていたのです。健康管理所の職員に「眼鏡を替えなさい」と言われましたが、私は「修士論文の作成で目を酷使したからで、視力低下は一時的なものです」と主張して、指示に従いませんでした。結局、その後矯正視力は1.0ほどに戻りました。
会社では、コンピュータ関係の仕事をしていて、いつもコンピュータの画面を長く見続けています。40歳を過ぎて、眼鏡を作り直す時、近視の度がさらに進むのはいやだと思って、わざと度を弱くした眼鏡を注文しました。視力表で測定するのではなく、本を読む時に目が楽に感じるようにレンズの度を選びました。そのレンズによる矯正視力は0.3でした。そして、自動車を運転する時のために、矯正視力1.0の眼鏡も別に作りました。それ以来、遠くが見えないと命にかかわる時を除いて、いつも度の弱い眼鏡で生活しています。
眼鏡の度をわざと弱くしたおかげで、コンピュータの画面に向かう時には目が楽です。歩いている時などに遠くがはっきり見えなくても、慣れれば不自由を感じません。そして、先日見た冒頭の番組で、そうしたのが正解だったと確信したのです。
私の息子(高校生)も、近視で眼鏡をかけています。先日、学校の健康診断で、矯正視力がやや低い(0.7〜0.9の範囲)と診断され、眼科医へ行くように言われたそうです。しかし、本人は、授業中に黒板を見るにも特に不自由は感じていないので、眼鏡を替えたくはないと言っています。私は、「それなら替える必要はない」と言いました。もし学校から眼科医の診断書の提出を求められたら、「日常生活に困っていないから眼鏡を替える必要はない」という診断書を書いてくれるよう頼むつもりです。