No.26 2000/01/01
2000年問題を恐れたことによる2000年問題

 社内ネットワークの2000年問題を検査するために会社で年を越し、帰って来たところです。
 サーバマシンなどの主要なネットワーク機器には事前に2000年対策を施していたので、2000年問題に起因するトラブルは起こりませんでした。TurboLinux 2.0を使った自宅のGabacho-Netのサーバも、問題なく2000年を迎えました。会社と自宅との間のメールも問題なく通りました。

 しかし、問題がまったくなかったわけではありませんでした。Gabacho-Netでは、メーリングリストによるメール配送のトラブルに遭遇しました。DNS(ドメインネームシステム)でアドレスを検索できなかったり、メールサーバと通信できなかったりで、メールを配送できないサイトがいくつかあったのです。12月31日以降に投稿されたメールにその配送エラーが起こっています。この記事を書いている今も、再送信でエラーが繰り返され、その記録がメールログにたまり続けています。私は、2000年問題を懸念してサーバを止めてしまったサイトではないかと推測しています。
 サーバを止めていてメールを受け取らないのは、自サイトの業務は休業中だから困らないと思われるかもしれませんが、他サイトのネットワーク管理者(特にメーリングリストサーバの管理者)にとってはありがたくないことです。そこへメールを送り込もうとするサーバに数日間メールがたまったままになるからです。つまり、他サイトのメールサーバのディスク容量を食い続けることになるのです。運休するサイトが多いと(多くないからいいようなものの)、Gabacho-Netのような貧弱なメールサーバでは、配送できずにディスクにたまるメールの量を心配しなければならなくなるでしょう。大多数のサイトのネットワーク管理者は、他サイトにそのような迷惑をかけてはいけないと理解しているから、サーバを連続運転し、徹夜で見守ったはずです。
 2000年問題は世の中で多少は起こったようですが、社会は混乱することなく無事に2000年を迎えました。しかし、おそらくは2000年問題を恐れるあまりに取った処置が別の問題を引き起こしたのは、大きな問題ではなかったとはいえ、私には事前に思い付かなかったことでした。

 ところで、河北新報社のウェブに掲載された2000年関連のニュースによると、「結局何も起こらなかったじゃないか。――2000年(Y2K)問題の影響が特に懸念されていたロシアのウラジオストクでは、Y2K対策で出勤し、新年を祝うことができなかったロシア人の間にやりきれない思いが渦巻いていた」とありました。なぜそういう考え方をするんでしょうね。私も出勤しましたが、コンピュータ社会を支える一員として万一に備える役割を背負ったことを、私は誇りに思っています。
 これほどスリリングな年は西暦10000年までないでしょう。いや、2000年問題を乗り越えた人類はこれで大きな知恵を獲得しましたから、もう永久にないかもしれません。そんな時代にコンピュータ技術者として社会を支えた一人であった私は幸せ者だと思います。いや、ほんと。

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