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過去の漢詩訳

浅見秀雄

これらは、「二重韻(一母音+一音合わせ)は偶数音の字脚(じあし)で踏んだ方がよい」という説を提唱したころの作例です。より響きやすい拡充二重韻(二音合わせ)を主体とする新しい型による漢詩訳は実験詩集の中にあります。
欧風押韻
絶句型押韻
欧風押韻 ヨーロッパ諸語の詩で行われる押韻の形式を取り入れたもので、日本語押韻詩ではほとんどこの形式がとられています。韻の配置には「AABB」(平坦韻)や「ABAB」(交差韻)の形があり、すべての行で韻を踏みます。

春暁 孟浩然

春のあけぼの、まだ眠たい
鳥がチュンチュン鳴いとるわい
夜の土砂降りやんだみたい
花が散ったか、ちと心配

[春眠 暁を覚えず
 処処 啼鳥を聞く
 夜来 風雨の声
 花落つること知る 多少]



不識庵の機山を撃つ図に題す 頼山陽

闇夜、千曲ちくまを行く謙信
夜明け、現るその突進
苦節十年、磨いた剣
無念、討ち損ねた信玄

[鞭声 粛粛 夜 河を過わた
 暁に見る 千兵の大牙を擁するを
 遺恨なり 十年 一剣を磨き
 流星光底 長蛇を逸す]

(不識庵=上杉謙信
 機山=武田信玄
 河=千曲川
 長蛇=武田信玄)



江雪 柳宗元

鳥が飛ばない山、灰色
人が途絶えた道、真っ白
舟に蓑笠みのかさ着た老人
垂らす釣り糸、雪しんしん

[千山 鳥の飛ぶこと絶え
 萬徑ばんけい 人蹤じんじょう滅す
 孤舟こしゅう 蓑笠さりゅうの翁おう
 独り釣る 寒江かんこうの雪]



偶成 朱熹

若いからとて老いは自明
今の瞬間大事にせい
春に浮かれていて突然
秋に気付けば取り返せん

[少年老い易く 学成り難し
 一寸の光陰 軽んず可からず
 未だ覚めず 池塘春草の夢
 階前の梧葉 已すでに秋声]



村の夜 白楽天

青い霜草、虫たち鳴く
どっち向いても行く人なく
畑一面照らすは月
蕎麦そばの花たち、あたかも雪

[霜草そうそうは蒼蒼として虫は切切
 村南 村北 行人こうじん絶ゆ
 独り門前に出て野田を望めば
 月明らかにして 蕎麥きょうばくの花 雪の如し]



絶句 杜甫

川の緑に真白ましろの鳥
山は青々、花彩いろど
春は今年もまた過ぎゆき
故郷離れて幾年月いくとしつき

[江こうみどりにして 鳥逾いよいよ白く
 山青くして 花然えんと欲す
 今春 看すみす 又過ぐ
 何いずれの日にか是これ帰年ならん]



酒を勧む 于武陵

金の盃、ほらどうだい
遠慮するなよ、さあ一杯
花も嵐にあう運命
つらい別れもある人生

[君に勧む 金屈巵きんくつし
 満酌 辞するを須もちいず
 花発ひらきて 風雨多し
 人生 別離足る]



元二の安西に使いするを送る 王維

雨で黄砂の塵晴れたか
宿の柳は青あざやか
朝の別れに盃取り
西へ旅立つ君はひとり

[渭城いじょうの朝雨 軽塵をうるおす
 客舎かくしゃ青青柳色りゅうしょく新たなり
 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
 西のかた陽関ようかんを出ずれば 故人無からん]
(「うるおす」の漢字は三水偏に「邑」。)



酒家に題す 韋荘

酒を飲み詩を詠みかたがた
見るは散る花、飲み屋の旗
世捨て人たち、なぜなんだか
酒の楽しみ知らぬは馬鹿

[酒緑 花紅 客は詩を愛す
 落花 春岸 酒家の旗
 尋思じんしするに世を避けて逋客ほかくと爲
 酔わずして長く醒むるも也またこれ



静夜思 李白

とこでふと見る月の光
霜の降りしと紛まがうばかり
同じあの月照りたるかと
思い馳せるは我が古里

[牀前しょうぜん 月光を看る
 疑うらくは是これ地上の霜かと
 頭こうべを挙げて山月を望み
 頭を低れて故郷を思う]



趙村ちょうそんの杏花きょうかに遊ぶ 白楽天

赤い杏あんずがまた満開
花見来たるは十何回
わしは今年で七しち十三
花に別れの歌贈らん

[趙村の紅杏こうきょう 毎年開く
 十五年来 看ること幾廻ぞ
 七しち十三の人は再び到り難し
 今春来きたるは 是これ 花と別れんとして来きたる]



半夜 良寛

人の世に生き、働き詰め
五十路いそじ過ぎればすべては夢
梅雨つゆの山小屋、月なき夜
しとど雨音、窓より漏る

[首こうべを回めぐらせば五十有余年
 人間じんかんの是非は一夢の中うち
 山房 五月 黄梅の雨
 半夜 蕭蕭しょうしょうとして虚窓に灑そそぐ]



こころに可なり 良寛

欲を捨てれば迷いはなく
欲を張るから不満がわく
菜っ葉さえありゃ満腹だし
まとう袈裟けさありゃ寒くもなし
独り歩けば鹿連れ立ち
共に歌うは村の子たち
峰に松の木、水清らか
こんな幸せあるものだか

[欲無ければ一切足り
 求むる有れば万事窮す
 淡采たんさい 餓えを療いやすべく
 衲衣のうい 聊いささか躬に纏まと
 独り往いて糜鹿びろくを伴ともとし
 高歌して村童に和す
 耳を洗う 巌下の水
 意こころに可なり 嶺上の松]


欧風押韻
絶句型押韻
絶句型押韻 私が考案した形式で、漢詩の七言絶句(一行七字の四行詩)の押韻形式にならったものです。起句(一行目)、承句(二行目)、結句(四行目)では七六調で同じ韻を踏み、転句(三行目)では韻を踏まない代わりに七七調(字脚は三・四・四・三)にしてリズムに変化を付けます。
[参考]漢語の音には平仄(ひょうそく)(平は平らな音、仄は上がる音や下がる音や詰まる音)の分類があり、韻を踏まない句末では韻字とは平仄を反転させて変化を付ける決まりになっています。日本語詩の絶句型押韻では、漢語での平仄反転に代わる方法として、転句の句末の音数を一音だけ増やすことによって変化を付けるという方法をとっています。

春暁 孟浩然

春のあけぼの、まだ眠たい
鳥がチュンチュン鳴いとるわい
昨夜以来の嵐は去って
花が散ったか、ちと心配

[春眠 暁を覚えず
 処処 啼鳥を聞く
 夜来 風雨の声
 花落つること知る 多少]

備考 欧風押韻の所に掲載した「春暁」訳詩は、たまたま全行同韻になったため、単調さを感じさせることが考えられます。ここでは、転句を変更して変化を付けています。



春病ばいどく 膀胱然

梅毒、痛みもなくじわじわ
あちこち斑点出て怖いわ
覚えあるわい、こいつはやばい
鼻が落ちれば死の瀬戸際

[法病ふらんすびょうは痛みを覚えず
 処処 斑点を見る
 爾来じらい 不安の声
 鼻落つること知り 多傷]

(孟浩然「春暁」パロディー
 枯骨閑人・作、掲載許諾)



梅雨に郷を憶う 頼山陽

雨が上がって日が差す古都
荷馬車パカパカ、乾いた音
思い起こすは故郷の我が家
庭に梅の実落ち、ぽとぽと

[満巷の深泥 雨乍たちまち晴れ
 輪蹄 絡繹として門を過ぎて行く
 故園 昔日 西窓の底
 臥して数う 黄梅の地に墜つるの声]



秋浦歌 其の十五 李白

伸びた白髪しらがは三千丈
ひどいストレス出たのだろう
鏡覗いてみりゃこの頭
まるで早霜かぶったよう

[白髪三千丈
 愁いに縁りて箇かくの似ごとく長し
 知らず 明鏡の裏うち
 何処いずこか秋霜を得し]



時に憩う 良寛

たきぎ背負って山道下
行けばでこぼこ、この道のり
松の木の下、さて一休み
遠く聞こえる、春鳴く鳥

[薪たきぎを担いて 翠岑すいしんを下る
 翠岑 路みちは平らかならず
 時に憩う 長松ちょうしょうの下
 静かに聞く 春禽しゅんきんの声]



金州城下の作 乃木希典

草木焼き尽くした戦災
はるか戦場、血生臭い
軍馬進まず、兵押し黙る
日暮れ、金州、立つ城外

[山川草木 転うたた荒涼
 十里 風腥なまぐさし 新戦場
 征馬前すすまず 人語らず
 金州城外 斜陽に立つ]



竹里館 王維

藪の館の中、息抜き
琴を弾くのや詩吟が好き
誰も知らない我が竹里館ちくりかん
こんな楽しみ、知るのは月

「独り坐す 幽篁ゆうこうの裏うち
 彈琴し 復また長嘯ちょうしょう
 深林 人知らず
 名月来たりて相照らす]



偶成 朱熹
――解釈その一‥説教――

君も老いまであと何年
若い頭脳を今鍛練
春に浮かれていてもう秋と
気付く時には取り返せん

[少年老い易く 学成り難し
 一寸の光陰 軽んず可からず
 未だ覚めず 池塘春草の夢
 階前の梧葉 已すでに秋声]



偶成 朱熹
――解釈その二‥自戒――

学び尽くさぬまま老年
もはやうかうかしてはおれん
春の夢から覚めずにいたら
秋の落葉らくようもう目前

[少年老い易く 学成り難し
 一寸の光陰 軽んず可からず
 未だ覚めず 池塘春草の夢
 階前の梧葉 已すでに秋声]



静夜思 李白

寝床から庭見りゃ純白
これは霜かとつい錯覚
山を見上げりゃ十五夜の月
里を思ってせつなさ湧く

[牀前しょうぜん 月光を看る
 疑うらくは是これ地上の霜かと
 頭こうべを挙げて山月を望み
 頭を低れて故郷を思う]



酒に対す 其の二 白楽天

狭い世でなぜいがむのだか
生まれ合わせの縁ある仲
隔てなく皆いっしょに飲もう
笑い知らずに生きるは馬鹿

[蝸牛角上 何事かを争う
 石火光中 此の身を寄す
 富に隋したがい貧に隋いて且しばらく歓楽せん
 口を開いて笑わざるは是これ痴人]



偶感 古荘火海

偉い奴にもある間違い
言い争っても実りはない
言葉語らぬ自然を見ろよ
山は青々、花紅くれない

[才子 元来 多く事を過あやま
 議論 畢竟ひっきょう 世に功無し
 誰か知らん 黙黙 不言の裡うち
 山は是これ青青 花は是紅なるを]


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